高田クリニックコラム
column

カルテ⑥ 庄兵衛、おまえも来るか モダンタイムズ 8月号 Dr.TAKADAの蔵の街クリニック原稿
2020.11.6
旧盆にちなんで亡き人の話を一つ。
昨年の春、九十五歳で天寿を全うした私の祖母は、名を「きよ」といった。
小日向の養源寺に眠るという「坊っちゃん」のばあやと同じ名だ。
「坊っちゃん」のきよが「ご気性が真っ直ぐな」
坊っちゃんを一途に擁護したように我が祖母きよも高田の家を裂帛の気迫をもって擁護した。
明治36年の春、祖母は壬生の本陣松本家の二女として生を受けた。
栃木の女学校を出て、わが祖父高田安平に嫁したのが大正の頃だろう。
薬問屋の嫁として、女将として、三男二女の母として、あるいは、栃木中学や女学校に通う親戚の子弟を預かる者として大いに働いたようだ。
葬儀や法事に今は一家を為したそうした人々がお集まり下さり、あらためて祖母の徳や偉業を偲んだ。
祖母は歴史を好み、義経、蒲生君平、日蓮上人といった歴史上の人物から高田家の先祖までさまざまな人物が登場する話をふとしたきっかけで始めた。
今の医院を開業する時は「そこに、漢方医高田春汀(私の四代前)の長男翼が栃木で初め洋医を開き、近郷近在から皆弁当持参でかかりに来た」という話から「鳥居の殿様が壬生へ移られるとき『庄兵衛、おまえも来るか』とおっしゃて『はい、お供します』とついて来たのだ」と壬生松本家の始祖、松本庄兵衛東下りの段となった。
昨日のことのように話す鳥居家の転封が何時のことなのかあるいは祖母自身知らなかったのかも知れない。
しかし、語る祖母は晴れやかで誇らしげだった。家族の間なら、鳥居の殿様が西暦何年に壬生に移ろうとそんなことはどうでもよいのだ。
大切なのは、自分の先祖が、殿様に同道を命じられる寵臣だったという事実なのだ。
祖母はそれを伝えたかったに違いない。
主語の無い、時期も不明な祖母の話は時に現代の感覚から遠いものに感じられたが今思うとそれは、「客観」という理屈や「進歩信仰」にいつのまにか曇った。
むしろ現代人の感覚の問題なのかも知れない。
鳥居様の寵臣、松本庄兵衛に連なる安心を、祖母無き今、思う。
老人の話に耳を傾ける時間のゆとりが大切なのかも知れない。
そのゆったりとした流れに身を浸す感覚こそ歴史を生きる感覚に違いない。
高齢者の福祉が取りざたされるが、それは、実は、時間への対し方なのだ。
それにしても、と私は思う。
私たちが高齢になった時私たちは、祖母のように物語る物語を持っているのだろうか。
過去を捨て、未来だけを夢見る空しさに気付き始めた現代過去こそ宝なのではないだろうか。
「歴史を生きる」とでもいった祖母の感じ方や生き方に大きな宿題を残されたように思う。
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