高田クリニックコラム
column

カルテ④ 猫に小判 モダンタイムズ 6月号 Dr.TAKADAの蔵の街クリニック原稿
2020.11.6
第9回栃木[蔵の街]音楽祭(一九九七年)で、「コンサートが東京に行かなくても聞けるようにしてほしいです。」という意見が栃木市の三十代女性から寄せられた。
私は、軽い驚きのあと、温かな安心に満たされた。「地元の演奏会なんて、ドサ回りだから行きたくない。いいものは東京で」という人ばかりかと思っていたから、地元でいいものを聴きたい、という当然の意見が新鮮に響いたのだ。
たしかに、東京でもサントリー・ホールの日曜日の演奏会などは、客層も演目も垢抜けないように思う。
近郷近在からの「サントリー・ホールへ行くこと」が目的のお客が多いからだろうか。
デートの小道具用の演奏会なら、なじみの少ない大曲より親しみやすい佳曲の方が切符は売れるに違いない。多少気の抜けた演奏でも、東京赤坂のあのサントリー・ホールの演奏会なのだからお客さんは皆満足して東北線や高崎線や常磐線や総武線で家路につくのかもしれない。
それはそれとしても、やはり地元に優れた演奏会はあった方がよい。
地元でいい演奏をきくことはそれほど難しいことではない。
地元に、豊かな感性を持った聴衆と、いい演奏家を選ぶ招聘元がいればよい。
例えば[蔵の街]音楽祭。昨年のオーケストラ・シンポシオンの演奏には、
「N響(NHK交響楽団)には絶対できない音楽です。」(東京都府中市)「感動的演奏でした。」(栃木市、小山市、佐野市、宇都宮市東京都墨田区、埼玉県北葛飾郡、ほか)
という感想が多数寄せられた。もっとも、「N響を呼んでほしい」(栃木市)
という声があったことも付け加えるが・・・。いずれにしろ、この「無名」のオーケストラが、今年の二月に東京霞が関のイイノホールで、日本モーツァルト協会の(モーツァルト研究家で国立音楽大学学園長の海老澤敏氏が会長を努め、モーツァルトの作品数と同じ六二六名しか正会員になることができない)
例会に出演したところ、海老澤先生も協会も、いたくお気に召したとみえ、早くも来年の例会出演が決まったそうだ。
それも、彼らの特性をさらに活かす方策を検討する、という厚遇付きで・・。
栃木[蔵の街]音楽祭は日本モーツァルト協会に先んじてこの楽団を招聘し御参集の皆様は協会員に先んじて、その「感動的演奏」を楽しんだことになる。猫に小判という。猫が小判をくわえて鰹節を買いに来たという話は今も昔も聞いたことがない。
猫にとっては小判より鰯の頭の方がいいに違いない。
人間はどうだろうか。地元に優れた演奏会という小判があっても
「東京」や「有名」といった鰯の頭の方がよいという人はいないだろうか。
豊かさ指標を考える